LOGIN「……」
動かないミウを見て、恋〈レン〉は少し心配になってきた。
「ええっと、これって……まさか死んじゃった、とかじゃないよね」
そうつぶやき見守っていると、やがてミウの体が小さく動いた。
「あ、動いた……ミウ? 大丈夫?」
ミウが顔を上げ、一声鳴く。
「いい感じの時間軸があったよ。今から10年後」
「10年後、27歳かぁ……あ、でもちょっと待って。ミウってば今、何をしてたの?」
「恋ちゃんの希望に沿える未来を探す為に、別の時間軸の僕と意識をリンクしてたんだ」
「リンク?」
「簡単に言えば、未来を見てきたってこと」
「未来をって……すごいことをさらっと言われたような」
「あははっ、深く考えなくていいよ。とにかく恋ちゃんの望みに応えられる、ふさわしい時間軸だと思う」
「そうなんだね。ありがとう、ミウ」
「それでね、行く前に説明しておくことがあるんだ」
「うん。まずは着替えよね」
「それは大丈夫、着替えなくても問題ないから」
「そうなの? 私、寝間着のままで未来に飛ぶの? 流石にこのままじゃ、恥ずかしいと言うか何と言うか」
「恋ちゃんは今から未来に行く。でも厳密に言えば、恋ちゃん自身が行く訳じゃないんだ」
「よく分からない」
「簡単に言えば、恋ちゃんの姿と意識、情報をコピーして10年後の世界で再構築するんだ。だから今の恋ちゃんの体はここに残るし、服装は……僕がうまくしておくよ」
「また……すごいことをさらっと」
「難しいだろうから理解しなくていいよ。とにかく恋ちゃんは、10年後の世界に行けるんだ」
「うん、ミウがそう言うんなら分かった」
「ありがとう。それで向こうに着いてからのことなんだけど、恋ちゃんの姿を認識出来るのは二人、未来の恋ちゃんと蓮〈れん〉くんだけだから」
「二人だけ?」
「そうでないと、ややこしくなっちゃう。突然10年前の恋ちゃんが現れたら、他の人も驚くだろ?」
「それもそうか……でも、未来の私や蓮くんはどうなの? 驚くと思うんだけど」
「それは問題ないよ。前もって僕が二人に情報を流しておくから。そして彼らは、そのことに何の疑問も持たない。過去の恋ちゃんが来たことを、当たり前のこととして認識してくれる」
「何だか、色々すごいね」
「そして二人は、恋ちゃんのことを決して口外しない。10年後の世界でも、時間旅行〈タイムトラベル〉は空想の物だからね。そしてこちらの恋ちゃんなんだけど」
「どうなるの?」
「ベッドで眠った状態になる。未来に行ってる間ね」
「でもそれって、声をかけられても起きないってことよね。お母さんに心配されないかな」
「それも大丈夫。恋ちゃんが向こうの世界に一年いたとしても、戻って来るポイントを今の時間に設定しておくから」
「……脳が追い付かない」
「ああ恋ちゃん、深く考えないで。さっきみたいにパニックになられても困るから」
「う、うん。分かった、考えないようにするよ。とにかく私は、今から10年後の未来に行く。私のことが見えるのは未来の私たちだけで、私が来ることも事前に知ってる。今の私はこの部屋で寝ていて、戻ってくるのは今の時間。そういうことね」
「あははっ……恋ちゃんって本当、面白いね。難しい話だとパニックになるのに、いざ受け入れたら当然のように理解してくれる」
「……褒めてるの、それ」
「褒めてるよ、勿論。それと僕は基本、恋ちゃんの前に現れない。でも心配しないでね。ちゃんとサポートしてるから。それに恋ちゃんが呼んでくれれば応えるし、姿も見せるから」
「分かった。それで私、どれくらい向こうにいてていいのかな」
「それは恋ちゃん次第かな。恋ちゃんが満足した時がその時、それでいいと思うよ」
「どれだけいてもいいの?」
「うん。気が済むまで楽しんでくるといいよ」
「でもそれって、こっちに戻って来た時、頭だけが年をとってる、なんてことにならないのかな」
「いいところに気付いたね。確かにそうだよね。もし向こうの世界に10年いたとしたら、恋ちゃんの精神年齢は27歳になってしまう。
でも大丈夫、その辺のこともちゃんと手を打ってるから」「どうやって?」
「戻ってきた恋ちゃんにとって、向こうでの出来事は夢を見ていたぐらいの感覚になるんだ」
「なるほど、それなら問題ないね。あ、でも……ちょっと待って、それじゃあ今からの旅は、戻って来た時に忘れてるってこと?」
「それは恋ちゃん次第かな。ほら、夢だってそうだろ? 印象に深く残ってるものは、目覚めても記憶に残ってる」
「そうなのかな」
「向こうの世界でのことは、間違いなく恋ちゃんの経験なんだ。恋ちゃんが忘れたくないと思ったことは、きっと覚えてると思うよ」
「そっか……うん、分かった。じゃあミウ、お願い出来るかな」
「さすが恋ちゃん、決断すると早いね。じゃあ布団に入ってくれるかな」
「分かった」
ミウに促されるままに、恋はベッドに潜り込んだ。
「まずはどこに行きたいかな。恋ちゃんの所かな、それとも蓮くんの所かな」
「勿論蓮くんで。未来の自分より、まずは蓮くんでしょ」
「あははっ、そうなんだね。分かった、じゃあ蓮くんに会えるポイントに設定するね」
「ありがとう、ミウ」
「じゃあ恋ちゃん、いい旅になること、祈ってるよ」
「うん、いってきます」
目を閉じると同時に、強烈な眠気に襲われた。
恋が眠りにつくと、ミウは目を細めて鳴いた。「いってらっしゃい、恋ちゃん」
二階建の古びた文化住宅。 それが恋〈レン〉の初めて見た光景だった。「……何て言ったらいいのかな。中々趣のある建物で」 隣にあるコインランドリーの窓ガラスで、自分の姿を確認する。 制服姿だった。「ま、まあ、これはこれで……10年後の蓮〈れん〉くんへのご褒美ということで」 そう言って苦笑いを浮かべる。 その時、ミウの声が聞こえた。「無事、到着したみたいだね」「ミウ? よく分からないけど、ここが10年後の未来なんだよね。今とあんまり変わってない感じだけど、まあ10年ぐらいだったらこんな物なのかな」「それもあるんだけど、説明してなかったね。ここでの恋ちゃんの目的は、あくまでも未来の君たちを見ること。だから恋ちゃんのいる時代になかった物とか、変わってる物。そういうのは自然と受け入れられるようにしてるんだ。例えば携帯電話とか、かなり変わってるよ。でも恋ちゃんは、それを当たり前に使うことが出来る。その方が、目的を果たす上でいいと思ったからね」「そうなんだ。色々気を使ってくれてありがとね。それでミウ、今どこにいるの」「僕のことは気にしないで。さっきも言った通り、僕はずっと恋ちゃんを見守っている。困ったことがあったらサポートもする。でも基本、恋ちゃんの前には現れないつもりだから」「そうだったね。私ってば、もう忘れてたよ」「あははっ。それと恋ちゃん、僕と話す時、声を出す必要はないからね」「そうなの?」「うん。僕の声、恋ちゃんの頭に直接響いてると思うんだ。恋ちゃんも僕と話す時、頭に思い浮かべるだけで大丈夫だから」「……またすごいことを聞いたような……でも分かった。ミウがそう言うんならそうするね」「ありがとう、恋ちゃん」「それでミウ、ここはどこなのかな。私の街じゃなさそうだけど」「蓮くんと会いたいって言ってたからね、一番早く会える場所に連れて
「……」 動かないミウを見て、恋〈レン〉は少し心配になってきた。「ええっと、これって……まさか死んじゃった、とかじゃないよね」 そうつぶやき見守っていると、やがてミウの体が小さく動いた。「あ、動いた……ミウ? 大丈夫?」 ミウが顔を上げ、一声鳴く。「いい感じの時間軸があったよ。今から10年後」「10年後、27歳かぁ……あ、でもちょっと待って。ミウってば今、何をしてたの?」「恋ちゃんの希望に沿える未来を探す為に、別の時間軸の僕と意識をリンクしてたんだ」「リンク?」「簡単に言えば、未来を見てきたってこと」「未来をって……すごいことをさらっと言われたような」「あははっ、深く考えなくていいよ。とにかく恋ちゃんの望みに応えられる、ふさわしい時間軸だと思う」「そうなんだね。ありがとう、ミウ」「それでね、行く前に説明しておくことがあるんだ」「うん。まずは着替えよね」「それは大丈夫、着替えなくても問題ないから」「そうなの? 私、寝間着のままで未来に飛ぶの? 流石にこのままじゃ、恥ずかしいと言うか何と言うか」「恋ちゃんは今から未来に行く。でも厳密に言えば、恋ちゃん自身が行く訳じゃないんだ」「よく分からない」「簡単に言えば、恋ちゃんの姿と意識、情報をコピーして10年後の世界で再構築するんだ。だから今の恋ちゃんの体はここに残るし、服装は……僕がうまくしておくよ」「また……すごいことをさらっと」「難しいだろうから理解しなくていいよ。とにかく恋ちゃんは、10年後の世界に行けるんだ」「うん、ミウがそう言うんなら分かった」「ありがとう。それで向こうに着いてからのことなんだけど、恋ちゃんの姿を認識出来るのは二人、未来の恋ちゃんと蓮〈れん〉くんだけだから」「二人だけ?」「そうでないと、ややこしくなっちゃう。突然10年前の恋ちゃんが現れたら、他の人も驚くだろ?
「恋ちゃんと彼氏くんの未来が見たいと」「うん、そう」 ミウを見つめる恋の瞳は、キラキラ輝いている。「私たちってね、子供の頃からずっと一緒だったんだ。親も仲がいいし、お互いの家にお泊まりとかもよくしてたの。 私はずっと、蓮〈れん〉くんのことが好きだった。蓮くんってね、いつも本ばっかり読んでいて、友達もいなかったんだ。外で遊ぶこともあんまりなかった。 でもね、私がお願いしたら一緒に遊んでくれるの。それがすごく嬉しくて……いつの間にか蓮くんのこと、好きになってた。 いつか付き合いたいって思ってたけど、でもほら、こういうのって女の方から言うのも恥ずかしいじゃない? だから私、ずっと待ってたの。蓮くんに告白されるのを」 瞳を爛々と輝かせてまくし立てる恋に、ミウは苦笑した。「半年前、ついに願いが叶った。蓮くんが告白してくれたの。そりゃもう、あの蓮くんだからね、分かるでしょ? 顔真っ赤にして、何言ってるのか聞き取れないぐらいぼそぼそと、なんだけどね」 いやいや僕、蓮くんのこと知らないし。ミウが心の中で突っ込んだ。「でもね、それでも嬉しかった。蓮くんが勇気を振り絞って告白してくれた。涙まで浮かべて、必死になって私に伝えてくれた。 その姿を見てね、私、ちょっとだけ後悔したの。こんなに大変なことなんだったら、私の方から告白しちゃえばよかったって。男だとか女だとか言う前に、自分の気持ちに正直になっていればよかったって」「まあ一理あるかな。人間の社会ではそういう役割、男の方がするみたいだけど、女の方から求愛する生物もいることだし」「でも嬉しかった。だから私、その場で蓮くんに抱き着いちゃったの。そして『私でよければお願いします』って言ったんだ」 そう言ってまた枕に顔を埋め、「きゃーきゃー」と声を上げる。「……その時ね、蓮くん言ってくれたんだ。『僕は恋を大切にする。恋が嫌がることは絶対にしない』って。それでもう、私の心臓は打ち抜かれた訳なのよ」「そして今日、その蓮くんとついにキスをした」「きゃー! きゃー!」
気が済むまで叫んだ恋〈レン〉が、何度もまばたきしながら子猫を凝視する。 この子猫……今、喋ったよね。 そんな恋を見て、子猫はもう一度かわいく鳴いた。 * * * 遡ること数時間前。 今日こそ蓮〈れん〉くんと。 そう意気込みながら、いつもの神社に着いた時だった。 恋の大きな瞳に、軒下で震えている子猫の姿が映った。「どうしたのかな、あの子」 駆け寄った恋は、子猫をそっと抱き上げた。「大丈夫? 子猫ちゃん、どうしたの?」 恋の問い掛けに、子猫は微かに目を開くと、弱々しい声で鳴いた。「この子震えてる……蓮くん、どうしよう」「呼吸が弱くなってるし、病気なのかも。病院に連れて行った方が」「だよね……でもその前に」 恋は子猫を膝に置くと、買っておいたミルクを掌に注いだ。「ひょっとしたらこの子、お腹が空いてるのかも知れないから」 そう言って手を向けると、子猫は鼻をひくひくさせた。そして口を開けると、舌で掌のミルクを舐めだした。「蓮くん! 見て見て! やっぱりこの子、お腹が空いてたんだよ!」 恋が嬉しそうに声を上げる。その笑顔に蓮は赤面し、「う、うん……そうみたいだね……」そう言ってうつむいた。 ミルクを舐める舌の動きが、力強くなっていく。そして最後の一滴を舐め終わると、ゆっくりと体を起こして体を振った。「やった! 子猫ちゃん、復活した!」 歓喜の声を上げて子猫を抱き締める。「よかったね、元気になって」 そう言ってもう一度膝の上に置くと、子猫は恋の手を舐め、元気よくジャンプして地面に降り立った。 そして二人を見てもう一度鳴くと、その場から走り去っていった。「行っちゃったね……でもよかった」 子猫の行った先を見つめながら、恋が微笑む。 その笑顔に蓮は見惚れ、そして静かに決意したのだった。
「私……キスしたんだ……」 * * * 夢の中にいるようで、頭がふわふわしていた。 ――胸の鼓動がおさまらない。 泳いだ後の様に重い体。脱力感が半端ない。 それなのに足取りは軽やかで、そのまま宙に浮いてしまいそうな。 不思議な感覚だった。 赤澤花恋〈あかざわ・かれん〉。高校2年の17歳。 夏休み前、終業式の今日。 いつものように幼馴染の同級生、黒木蓮司〈くろき・れんじ〉と寄り道をした。 子供の頃からずっと一緒だった二人。名前に「レン」が入っている二人は、互いのことを「レン」と呼び合い、その仲睦まじい姿は近所でも有名だった。 近所にある人気のない神社。 付き合い始めて半年になる二人は、学校帰りにいつもここに来ていた。 他愛もない日常の出来事や愚痴を話し、互いの気持ちを共有する。 とは言え、話すのはいつも恋〈レン〉の方だった。 無口な蓮〈れん〉は恋の話を聞き、静かに笑ってうなずいていた。 しかし今日。 蓮の様子が少し違っていた。 いつもの様にオチのない話を続ける恋も、その様子に気付き声をかけた。「ちょっと蓮くん、聞いてる?」「う、うん、聞いてるよ」「ほんとに? だったら京ちゃんが何したか言ってみてよ」「……ごめん、分からない」「ほらー。もう、どうしちゃったのよ。今日の蓮くん、ちょっと変だよ。もしかして具合でも悪い?」「そんなことは」「ほんとに?」 そう言って蓮の額に手を当てると、少し熱く感じた。「熱、ある? 帰る?」 心配そうに蓮の顔を覗き込む。 その時だった。 額に当てられた手を蓮がつかみ、そのまま握り締めた。「…&hellip







